ハーブ&ドロシーの自主上映会がいよいよ来週金曜日に迫ってきました。
担当の広報不足もあってまだまだ予約数が少ないです(涙)
あと一週間で、一人でも出会いが増えてくれたらいいな、と思い、
この映画について、私が感じていること、お知らせしたいことを
このページで書いていこうと思います。
私が考える、この映画のいいところ。
普通は、アーティストは自分で自分のアートを語っちゃうけれど、
この映画では、コレクターのハーブ&ドロシーについて語っている。
アーティストが自分のアートを語ってしまうと、
アートが個人の志向の枠からはみ出しにくい・・・
特に「意味不明」「解釈次第」なモダンアートだと、さらにその傾向が強いかも。
その点、この映画は「コレクター」をテーマにしたことでアート周辺の「人間関係」や「社会的状況」を語らせているところが面白いところ!
アートが社会にはみ出していく、そんな感じ。
ところで、映画の中で、
アーティストがコレクターのことを語れるのはなぜ?
(コレクターがアーティストを語るのではなく)
それは両者の間に関係性があるから。
映画に出てくるアーティストたちによれば、ハーブ&ドロシー・ヴォーゲル夫妻は、
ニューヨーク中のギャラリーやアトリエを自ら訪問し、
アーティストの作品を「すべて」見たがったという。
そのうえで、目立つものや(アーティスト自身も含め)他の人の意見によってではなく、
自分たちの視点で、美しいもの、欲しいもの、を決めた。
時には、アーティストに意見し、交渉し、関係をつくっていく。
その2人の姿勢は、アーティストにとって「キュレーター」の役割を果たしたらしい。
私たちがふだん美術館で見るアート作品は、
アーティストのたくさんの創作のなかのほんの一部。
しかも、箱の中に展示され、人だかりの中、限られた時間で見るアートによって
私たちは「受動的な消費者」という枠に閉じ込められていないかな?
能動的にアートに関わる姿勢を持つこと。
好き、というだけで、そうする権利があること。
そこに、お金はあってもいいけど、実はたくさん無くてもいいこと。
もっとこんな「キュレーター」があふれるといいのに。
そんな意味で、この映画は、アートの社会的/デモクラティックな側面に
寄り添っているな、と感じた次第。
よろしければコメントやシェアなどお願いします!
自主上映会情報は以下の記事からどうぞ。
http://atticearth.blogspot.jp/2013/02/2013329.html
さて、明日も映画『ハーブ&ドロシー』について書いてみようと思います。
映画を見ていて連想した映画の話、など。
PS
ところで先日「ルーシー・リーの器に、直に触ることができるギャラリー」を名古屋の友人に紹介してもらいました。その手触りはやさしく、とても軽やかで、幸せな気分になりました。ギャラリーのスタッフの方も大変親切で、併設のショップやカフェも質が高く、大満足。(ルーシー・リー展は終了しています。今度は地球暦♪)
こういうギャラリーが地域にあることは、アートも地域も豊かにするなぁ、と思います。
http://www.life-deco.net/
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